2008年01月24日
竹富島憲章
今朝の新聞にホテル建設開発の話が載っていました。その一説の記事内容が下記の竹富島憲章です。
「竹富島憲章」 1986年
「売らない」
「汚さない」
「乱さない」
「壊さない」
「生かす」
戦争や環境破壊による開発「壊す」の世紀であった、20世紀とは違い、これからの21世紀は「守り・育て・大切」にしていく世紀になることを願います。
「竹富島憲章」 1986年
「売らない」
「汚さない」
「乱さない」
「壊さない」
「生かす」
戦争や環境破壊による開発「壊す」の世紀であった、20世紀とは違い、これからの21世紀は「守り・育て・大切」にしていく世紀になることを願います。
2006年05月22日
野国総官
遠い昔、沖縄が飢餓に苦しみ食べ物が無い時代に、死を覚悟で中国へ渡り「芋」の苗を入手して、沖縄の人々へ「芋」を広めて、沖縄の民を飢餓から救ったとても、素晴らしい方「野国総官」さんです。沖縄の偉人伝では、必ず登場する人物ですね。小学校の教科書にも載っています。
●すごーい偉い人ですよ。
●すごーい偉い人ですよ。
2006年03月01日
カマド
昔のウチナー(沖縄)の家庭では、どこにでもあった「カマド」です。今はほとんど無いですね。写真は「読谷自然学校のカマド」です。子供達に昔の体験ということで、カマドでご飯を炊いたり、ゆし豆腐を作ったりしております。ウチナーの女性の名前で「カマド」「ナベ」などありますが、昔のおばーちゃん達の名前は、身近な一番大切な物の名前をつけたそうです。カマドやナベが女性にとって一番大事な物だったんですね。ちなみに、呼び方は「カマド」で切ったらダメですよ。おばーにかわいくないと怒られます。正式には「カマドー」で、のばして語尾を下げるのがかわいい呼び名だそうです。内のおばーの「カマダ」は、多分「カマド」がなまった形でしょう。
2006年02月25日
進貢船
進貢船とは、1372年~1879年まで琉球王国が中国・東南アジア・朝鮮国・日本との貿易に使用していた船です。当時、中国からのエンジニアをまねきいれて、造船技術や航海の方法などを学びました。最大クラスの進貢船は長さ40メートル・幅10メートル・乗員200名という、当時世界最大級の木造船でした。1492年にコロンブスがアメリカ大陸を発見したサンタマリア号は、50名乗りでしたのでいかに進貢船が大きかったかがわかりますね。

写真の進貢船は動きませんよ~。
写真の進貢船は動きませんよ~。
2006年02月23日
読谷飛行場跡
読谷飛行場跡です。1945年(昭和20年)04月01日に沖縄本島にアメリカ軍率いる連合軍が沖縄本島に上陸しました。最初、糸満方面に上陸するとみせかけて、慶良間諸島に上陸、その後に北谷・嘉手納・読谷村の海岸に上陸。アメリカ軍は、当時アジア最大といわれていた読谷飛行場(北)を欲しくての沖縄本島中部地区に上陸を決行。無血の上陸と言われるほどの簡単な上陸だったと伝えられています。読谷飛行場は、旧日本軍により住民総出で建設されました。沖縄の玄関口である、那覇空港(小録空港)も旧日本軍が作った滑走路だと皆様知っていました?



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